ツーリングは、どうしても走っている時間の印象が強く残ります。エンジン音や風の感触、目的地までの線が頭の中に浮かびやすいからでしょう。けれど実際には、走っていない時間のほうが、長く心に残る日もあります。

信号待ちでふと視線を上げた空の色や、エンジンを切ったあとに訪れる静けさ。ヘルメットを脱いだ瞬間の、少し遅れてやってくる現実感。そうした断片が、あとから思い出として立ち上がってくる感覚は、ツーリングならではのものに感じられます。

この記事では、走る距離や目的地から少しだけ離れて、ツーリングという時間を眺め直してみます。愛車と向き合う時間は、いつの間にか気持ちをほどいてくれます。その感覚を、これを読んだ方にも感じていただければ幸いです。

遠くへ行かなくなった自分に引っかかる気持ち

遠くへ行く機会が減ると、自分の中に小さな引っかかりが残ります。忙しさや体力のせいだと分かっていても、以前の自分と比べてしまう瞬間がふと顔を出します。

ただ、思い返してみると、遠くまで走った記憶は距離そのものより感覚で残りやすいです。朝の空気の冷たさや、帰り道で肩の力が抜ける感じが先に浮かびます。数字では測れない手応えがそこにあります。

一方で、遠くへ行けない日が続くと、気持ちまで鈍ったように感じやすいです。けれど実際には、走る量よりも走り出す前の呼吸が変わっているだけなのかもしれません。鍵を回す手が少しだけ慎重になります。

だから、距離を目標にしすぎると、出発前から置いていかれます。今の生活に合う範囲を受け入れると、帰ってくる道の長さが自然に整います。夕方の光がヘルメットの縁に薄く残ります。

距離が短くなっても満足してしまう瞬間

離が短くなっても、なぜか満足してしまう日があります。遠くへ向かう意欲が消えたというより、体が欲しがる分量が変わっただけとも言えます。

たとえば出発して三十分、信号の少ない道に乗ったあたりで呼吸が落ち着いてくるでしょう。ヘルメットの中の空気が身体になじみ、肩の力だけが先に抜けていきます。

さらに、目的地を決めずに走ると、短い距離でも気持ちが満ちやすいです。道のカーブや路面のつなぎ目に意識が吸い寄せられて、頭の中の雑音が薄くなります。

一方で、帰宅が見えた瞬間に「もう少しだけ」と思えるなら、その日は十分に走れたということです。エンジンを切ったあと、熱の残る金属に手を近づけたときの静けさが、妙に心地よく残ります。

バイクとの関係が変わったわけではなかった

近場でのツーリング

遠くへ行かなくなったからといって、バイクとの距離が離れたわけではありません。以前と同じようにキーを回し、同じ音を聞き、同じ姿勢で走り出しています。変わったのは関係そのものではなく、付き合い方のほうです。

長い距離を走らなくても、十分に満たされる日があります。走っている時間より、止まっている時間の手触りが、前よりもはっきり残るようになっています。帰宅してからも、なぜか気持ちが急がないままです。

バイクは相変わらず、外へ連れ出す存在であり続けています。ただ、どこまで行くかを競わなくなっただけです。ヘルメットを脱いだあと、肩に残る重みが、今日はちょうどよく感じられるでしょう。

今の楽しみ方を無理に正解にしなくていい

今の楽しみ方が本当にこれでいいのかと、ふと考えてしまう瞬間があります。以前の自分と比べてしまうと、どうしても足りないものが目についてしまうかもしれません。距離や回数を思い出すほど、少しだけ居心地が悪くなります。

けれど、楽しみ方は証明しなくても成り立つものです。誰かに説明できなくても、胸の奥で静かに納得していれば十分です。エンジンを止めたあとに残る感覚が、それを教えてくれます。

今の時間の使い方は、たまたま今の自分に合っているだけです。先のことまで決める必要はありません。次にキーを回すとき、自然に選んだ道が、その日の答えです。

まとめ

ツーリングの楽しみ方は、いつの間にか少しずつ形を変えていきます。距離が短くなったり、回数が減ったりすると、前の自分と比べて戸惑う瞬間も生まれます。ただ、それは離れていく兆しではなく、関係が別の場所へ移っているだけかもしれません。

走らない時間や寄り道、何気ない帰り道まで含めてバイクと過ごしていると、満足の基準そのものが静かに変わっていきます。遠くへ行かなくても、強く語れなくても、心に残る感覚は確かにあります。そこに無理な理由付けは必要ありません。

今の楽しみ方は、今の自分にちょうど合っている形です。正解にしようと力を入れなくても、自然に続いていくものがあります。次にキーを回す日も、同じ距離とは限りませんが、そのとき選んだ道が、そのままツーリングになります。