ソロツーリングに興味はあるものの、ひとりで走るとさみしいのではないか、つまらなく感じるのではないか、そんな不安を持つ人は少なくありません。実際、複数人でのツーリングに慣れていると、ひとりで走る時間に心細さを覚える瞬間があります。会話もなく、目的地に着いても感想を共有する相手はいません。その感覚自体は、とても自然なものです。

それでも、ソロツーリングを何度か重ねるうちに、そのさみしさの正体が少しずつ違って見えてくる場合があります。それは孤独という言葉で片づけられるものではなく、これまで意識してこなかった時間や感覚が、静かに前へ出てきただけなのかもしれません。この記事では、ソロツーリングがさみしいと感じる理由を分析しながら、その感情を別の視点で捉え直してみます。

なぜソロツーリングはさみしく感じるのか

ソロツーリングがさみしく感じられる最大の理由は、ひとりでいるからではありません。正確には、これまで当たり前だった環境が突然なくなるためです。

複数人で走るツーリングでは、常に誰かの存在があります。走行中も休憩中も、言葉を交わさなくても、人の気配が空間を満たしています。その状態に慣れていると、ひとりで走ったときに生まれる静けさに、ありもしない違和感を覚えてしまうのです。

エンジンを止めたあとに聞こえる風の音や遠くの生活音は、本来は心地よいものです。しかし、その静けさに慣れていないと、落ち着かない感覚として意識に残り、ソロツーリングはさみしいという印象につながります。

もう一つの要因は、楽しさは誰かと共有するものだという思い込みです。景色や食事を前にして、感想を言い合う相手がいないと、体験の価値が下がるように感じてしまいます。この比較の軸が残ったままだと、ひとりで走る時間は物足りなく映ります。

そのさみしさは本当に孤独なのか

ここで一度、孤独という言葉の意味を見直しましょう。孤独とは、本来は人とのつながりを失い、自分の意思とは関係なくひとりに置かれている状態を指します。

ソロツーリングは、その状況とは大きく異なります。誰かに拒絶されたわけでも、居場所を失ったわけでもありません。ひとりで走る時間を、自分で選んでいます。

ではなぜ、孤独に似た感情が湧くのか。それは、人との会話がなくなった代わりに、周囲の情報量が一気に増えるからです。今まで気づかなかった音、光、匂い、風、気温といった要素に気がつくようになると、自分の変化に気持ちが追いつかず、心細さとして顔を覗かせます。

この落ち着かなさが、ソロツーリングは孤独だと感じる原因でもあります。誰かがいないから不安なのではなく、何も決まっていない時間をどう扱えばいいのか分からないだけというケースも多いです。

ソロツーリングで生まれる余白という感覚

ソロツーリングには、共通した特徴があります。それは、何をしてもいいし、何もしなくてもいい時間が続くことです。

行き先を細かく決めていなければ、途中で引き返してもいいのです。長居しても、すぐに立ち去っても、誰に気を使う必要もありません。時計を気にして予定を調整する理由もなくなります。

この自由度の高さは、最初は扱いにくく感じられます。予定や役割で埋まった日常に慣れていると、空いている時間は不安として現れやすいでしょう。しかし、その空白こそが余白と呼べるものです。

余白は、何かを埋めるための時間ではありません。考えごとをしてもいいし、何も考えずに景色を眺めてもいい。意味を持たせなくても、そのままで成立します。ソロツーリングでは、この余白が自然に生まれます。

余白を受け入れるとソロツーリングの走り方が変わる

余白という感覚に慣れてくると、ソロツーリングの組み立て方が変わります。まず、行き先を決めすぎなくなります。目的地に到着することよりも、走っている時間そのものを味わえるようになるからです。

休憩の意味も変わります。誰かと話すための休憩ではなく、自分の呼吸を整えるための時間になります。コーヒーを飲みながら空を見上げるだけでも、気持ちは十分に満たされるでしょう。

距離や成果を他人と比べなくなります。どれくらい走ったか、どこまで行ったかよりも、その日どう感じたかに基準が変化するでしょう。走行距離が短くても、気持ちが整えば満足できるようになります。

この変化によって、ソロツーリングはつまらないものではなく、自分の感覚を取り戻す時間として捉えられるようになります。

ソロツーリングのさみしさを無理に消そうとしなくていい

ソロツーリング中にさみしさを感じる瞬間があっても、それを問題視する必要はありません。その感情は、余白に触れた証でもあります。

走りながら落ち着かない気分になったとき、無理に音楽を流したり、予定を詰め込んだりしなくても構いません。そのまま走り、そのまま止まり、そのまま景色を見る。その繰り返しの中で、ひとりで過ごす時間の扱い方は自然と分かってきます。

ソロツーリングは、常に楽しくなければならない遊びではありません。少し考え込み、少し黙り、少しぼんやりする。そのすべてを含めて成立します。

まとめ

ソロツーリングで感じるさみしさは、必ずしも孤独を意味するものではありません。それは、これまで意識してこなかった余白と向き合うための入り口のような感情です。

ひとりで走る時間には、共有や評価から離れた自由があります。最初は戸惑っても、余白を受け入れることで、ソロツーリングの楽しみ方は少しずつ変わっていきます。

次にひとりで走るとき、ソロツーリングはさみしいと感じたら、それを否定せず、その先にある時間を味わってみてください。そこには、これまでとは違うバイクとの付き合い方が静かに待っています。